キクイ随想録

ただ適当に、閃いた事や書きたい事をぶちまけるだけ

ポストモダンと清涼院流水 その1


 僕は哲学が好きだ。

 古代から現代まで、どの時代の誰を選んでも大概面白い。

 奴隷に生活の全てを任せ、そうして得た余暇で作り上げた、犠牲の上に成り立つ美しきギリシャ哲学も

 中世、暇すぎる修道士達が、たった一つの概念に対して500年の情熱をかけた、神学と結びついた狂気と言われてもおかしくない中世西洋哲学も

 現代にも多大な影響を与え続けている哲学の魔王、デカルトにより始まった近代西洋哲学も

 古代から現代まで、余すところなく、残ってる哲学全てが粒揃いで個性的で最高に面白い。(西洋哲学しかないのは僕が一応西洋哲学をメインとしてるからだ。中国哲学日本哲学は齧った程度だが、あれはあれで面白い)

……まあ実際の所、優秀で面白いからこそ現代まで残ってるってのが正しいんだが。

 

 ともかくだ、そんなドラクエのラスボスと裏ボスしか居ないような世界に、最近――といっても、もう四十年ほど前だが、まあ三千年の歴史からしたら誤差だよ誤差――ちょっと不思議な思想が入ってきた。その名前をポストモダンと言う。

 

 ポストモダン

 僕よりちょっと年齢が上の人から五十代、もしくは現代哲学を学んだ、あるいは少し捻くれた人なら名前位は聞いた事があるんじゃないだろうか。日本では浅田彰柄谷行人の代名詞であり、東浩紀の「動物化するポストモダン」で、半ば名前だけ空歩きしてしまったへんてこな思想(?)だ。なんて言ったって名前からしておかしい。通常、「イデア論」とか「観念論/唯物論/唯名論」みたいな感じで哲学は名前自体に何らかの意味が籠っているのだが、この思想と言えるか怪しいナニカは、一丁前に思想と呼ばれる癖に、名前が体を表していない。

 それって現代哲学だけじゃないの?なんて言われるかもしれないが、そんなことは無い。「実存主義」も「構造主義」も「現象学」も「脱構築」も名前にちゃんと意味がある。最近盛り上がってる「新ベルクソン主義」とかもちゃんとベルクソンという固有の人物を丁寧に追っているし、まさに最新の哲学であるグレアム・ハーマンの「オブジェクト指向存在論」なんて、プログラミングの「オブジェクト指向」に影響を受けた事が丸わかりの名前だ。

 

 さて、ここまで見て貰って分かる通り「ポストモダン」が一体何なのかさっぱり分からないと思う。いっそのこと訳から攻めてみようと直訳しても「近代(modernism)のその後」だ。何一つ喋ってくれない。

 

 ポストモダンとは一体何なのか。それを今からちょっとした過去の昔話を交えながら解説したいと思う。思うのだが、哲学に少し詳しい人は間違いなくここまで書いた文章の一部へ怒るに違いないので、ちょっとそこにも触れておきたい。

 哲学に少し詳しい人が、今までの文章の何処に、何故怒るか。それは実は、「脱構築」や「構造主義」は一部がポストモダンとして考えられるからだ。というか「脱構築」は一部どころか九割ポストモダンと言っても良いかもしれない。

 ここで、「じゃあ『脱構築=ポストモダン』で終わりじゃないの?」と考えた人がいるかもしれない。実は終わんねえんだよ、これが

 ここにあるトラップ、それを“カテゴリーミステイク”と呼ぶ。

カテゴリーミステイクとは、下位概念と上位概念をごちゃ混ぜに考えてしまう事を指す思考上の間違いの事であり、大雑把に例えで説明すると、「動物園」には「ゴリラ」「キリン」「ゾウ」と言った動物がいるが、逆にただただ「ゴリラ」「キリン」「ゾウ」という動物を集めただけでは「動物園」という概念、存在は成り立たない、そういう違うスケールの概念を混同してしまっている状態だと思って貰えれば分かりやすいと思う。

 そして動物園の例えを先程の疑問に当てはめると、「ポストモダン」の中に「脱構築」はあったとしても「脱構築」だけでは「ポストモダン」足り得ない、という答えがはっきりと見えてくると思う。

 

 話をいよいよ核心に進めよう。

 ポストモダンとは一体何なのか。

 ここまで間怠っこしかっただろうし、簡潔に言おう

 ズバリ、ポストモダンとは「都市伝説」「妖怪」「幽霊」そういったものだ。

……え、端折り過ぎって?

じゃあもうちょっと丁寧に答えると、話題として出す限り無敵の論理であり、「ポストモダン」という存在をこの世の全員が忘れない限り現状死なない存在で、つまり消滅不可能な存在だ。もっと学術的にいうと「相対主義の極致」と言った所だろうか。

 

……おそらく、これでも分り辛いと思う。だからある具体例から考えていきたい。

これから話す事例は二十世紀の終わり、ある界隈で大問題となったとある人物が、“何故評価されてしまったのか”というものだ。

――その界隈の名を新本格ミステリ、そしてその男の名を清涼院流水という。

 

という訳で後編に続く!!

ブログ、始めました

 どうも皆さん初めまして、キクイといいます。

 いつもツイッターでぐだぐだ途切れ途切れ、間にリツイートやら何やら挟んで呟き続けるのも微妙な感じがしてきし、最近読ませて頂いてる友人の方の文章が面白いもんで、少し長めの長文でも書こうかと思い開設しました。

 

 で、だ

 折角だし初っ端からなんか書こうと思った訳ですよ。すると纏まらないのなんの、完全に思考のルーチンがツイッターの青い鳥に飼い慣らされちまってる事に気付いたんですよ。140字以内の口語文に最適化されちまってるんですよ、俺の文。

 いや、色々考えたんですよ?好きなものが無い訳じゃないし、書きたい事は色々あるし。

セカイ系と「魔王物語物語」について

とか

fate/SNの士郎とトム・ジョーンズ舞城王太郎の作品群について

とか

・「君の名は」と明治以降の日本の恋愛観について

とか

……こうやって箇条書きするといよいよ自分が何やってるのか分からなくなってくるな……あ、上記全部専門じゃないよ。箇条書きの見出しだけ批評家の文っぽく見えた人がいるかもしれないけど、それ多分正解。影響受けてる。

 まあともかく、色々書きたい事はあるんだよ。例え真似事でもやりたい事やっても文句言われる筋無いだろうし。

 ただ普通に書くと論文っぽくなっちゃうんですよ。卒論書いてる影響かもしれないけど、かっっっっったい文章になるのよ。もっと端的にいうとつまらない文章になるのよ。引用の無い……何の学術的保障もないゴミの様な文字列なんか見たいかい?俺は見たくない。

 だからこの今現在進行形で展開されてる文章みたく、自分に素直になって砕けた、自分なりに面白いと思える文章を書いていく方針でいきたいと思います。

……問題があるとしたら、僕がこの手の文章を書く時って、何というか、自分の内面が何かを語りたいと“エモく”なった瞬間に書く質で、つまりエモくならない限り書かないから絶対不定期になるってとこです。何か書いてそれが評価されたらテンション上がって頑張って書くかもしれないけど、基本的にそんなスタンス。

 あ、ただ肯定的な感想とか見つけたら多分全力で飛びつくよ。好意的に反応されるの凄く嬉しいし。

 

……こうやってぐだぐだ書いて、締めの言葉すら見つからない。そんな適当なブログですけど、末永くお願いします。